第1回
『コミュニティ・カーシェアリング』シンポジウム in 石巻 開催レポート

パネルディスカッション

コミュニティ・カーシェアリングの幕開け 小テーマ2
コミュニティ・カーシェアリングの各交通機関との連携

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動画でもご覧いただけます。

※講演内容を忠実に書き出ししておりますので、一部表現が話し言葉の部分もありますがご了承ください。

  • モデレータ:
  • 柴山 多佳児(ウィーン工科大学)
  • パネラー :
  • Christian Steger-Vormetz(CARUSO Carsharing eGen)
    家田 仁(政策研究大学院大学)
    鈴木 高宏(東北大学 未来科学技術共同研究センター)
    増田 敬(一般社団法人 石巻じちれん)
    吉澤 武彦(一般社団法人 日本カーシェアリング協会)
柴山
公共交通と棲み分けてもよいという話も出てきましたが、そのあたりいかがでしょう?
鈴木
石巻の事例で、吉澤さんはレンタカー事業の認定もいただいています。例えば、石巻にボランティアで来た人や、観光で来た人のためのレンタカーとして使っています。そのレンタカー事業の部分のある程度の収入を、カーシェアに支援するというような使い方をされている。これが1つ良い例ではないかと思っている。
吉澤
先ほどトライという話がありましたが、最初は僕らも無料(お試し)でやってもらっています。そういうものはレンタカー事業で収益をあげて賄う形をつくろうということでやっています。
やっぱり、少しずつやり始めて挑戦してみて、皆さんに慣れてもらう。車をいきなり共同で使うというのは、皆さん慣れていませんが、やってみたら便利だねとか、例えば「うーんどうかな。」と端っこで聞いていたおじさんが、送り迎えなどをやった時に、おばあさんに「ありがとう」など言われたら、満更でもないな、ということが起こっています。
それは、文化とかスタイルとかそういうのが確立してくれば、みんな自然にできるようになるが、今はそれがないので作っていかなければならない段階です。挑戦できる環境などをつくる。それにはやっぱり多少投資というかそういうものが必要です。それをなんとか賄うために、収益事業というものをそれなりにやっていかなければいけないなと考えています。
柴山
ありがとうございます。Christianがコメントしたいようですね。
Christian
考え方においても柔軟性が必要です。これまで、公共、交通、自転車、タクシーなどの小さなカテゴリーでしか考えてきておらず、ルールもそのためのものでした。しかし、これからもカーシェアリングで病院などに行くわけで、これが救助なのか、タクシーで行くのか、公共鉄道で行くのかこれらを分離化するのは難しいと思う。そういった意味で、私たちはもっと法律においてもフレキシビリティのあるフレームワークが必要と考えています。
私は境界線がどんどんなくなっていくと思います。新しいルール作りが必要だとも思います。そもそも私たちの類型ということを考えすぎてしまうということが、自分たちに抱えさせてしまっている障害だと思う。これを取り外していく必要があると思います。
柴山
なるほど。ありがとうございます。確かにChristianが言う通りで、頭の中で昔のものに縛られているということに私自身もはっとしました。どうしてもそういう考えはある。それを取り去っていくときの想像力は人間なかなか持っていないので、いろんな実例が積み重なっていくことで、できていくものだと思います。
例えば吉澤さんの場合は、カーシェアリングの良さを実際に使ってもらわないと中々わかってもらえないということだと思います。他にも課題や難しさはありますか?
吉澤
「人」ということを、この取り組みでは大切にしています。特にカーシェアリングの活動を始めた最初の方は、仮設住宅を回っていき、人柄のいい人、地域に貢献したい人を見つけていきました。
例えば、増田さんは車を持っていて車に困っていない。しかし、他の人のために何かをしたいという気持ちを強く持っている。このような気持ちを具体的に形にするきっかけを私たちはつくってきました。
そういう人の周りには、自然にコミュニティができていく。僕のやり方、コミュニティの作り方としては、人柄がよくて気持ちのいい人をみつけて、行動を一緒にやっていく。
そうすれば、きちんといいコミュニティが出来ていって、いい人にはいい人が集まって、活性化されていく。そういう意味では、「人に依存する」というところが課題です。
逆にいうと、いろんな集合住宅の方が車を維持しやすい点があります。例えば、関東沿岸部であったとしても、人柄の良い人との出会いがあったら、僕はできると思います。その人が一歩動けるようなサポートや、世間の見方、安全性など、家田先生もおっしゃられましたが、ある程度の基準があればいいと思います。
意外と、人に対して何かやってあげたい、自分は家でテレビを見ているだけで暇だ、生活に張り合いができるからやりたいという人っていらっしゃるんです。1つの団地アンケートをすると2〜3人ぐらいはいる。1人でもそういう人がいると、その団地は変わってくことをいろんな現場で見てきました。課題でもあるけれど、ポイントであると思います。
柴山
なるほど。Christian、逆にオーストリアではITを入れたシステムは動いているわけですが、その中での課題は?
Christian
まず重要なことは、新しいことを試すというスペース、余地が必要です。創造的なソリューションを見出すためには、とにかく試みなければいけません。
私たちもITに関しては色んなことを試しました。利用者からたくさんのフィードバックがきます。私たちはリビングラブといっています。つまり、社会的な実験ということ。ただ単に匿名の実験をするわけではなく、利用者と一緒に実験すると、私たちが考えなかった様々なフィードバックをもらえます。
新しいものにトライしなければ、新しい技術を使うことにならない。私たちは新しい技術をどんどん試しているので、すごくわくわくしながらやっています。ただ、社会的な問題などもあり、新しい技術を試すためには予算も頂かないと中々難しいというところが本音です。
柴山
それぞれ課題を抱えている中で、先ほど家田先生からもあった法的な位置づけなどの課題もあります。家田先生は退出しなければいけないため、最後に法的位置づけも含めた課題と可能性についてお願いします。
家田
ここでやっていることは、僕は非常に期待が強い。かといって、量的にこれで我が国の公共交通を吉澤さんに全部やってもらおうとは考えていません。こういう動きがあちこちで少しずつ動いてくれたら、きっといい国になると思います。
知らないものは勘違いするというのが、人間のサガです。今日も柴山さんがカーシェアリング、ライドシェアリングという言葉を色々と紹介してくれましたが、物理的にシェアリングしているという意味ではシェアリングかもしれませんが、実は、意味や意図が全然違っていたりします。
だから正確にものを語らなければいけないのですが、その時にマスコミに正確な情報を正確に伝えて広めてもらうことが大切です。NHK特集くらいあってもいいですよね。そのくらいで随分と様子が違ってくると思います。
知らないもの、わからないものは勘違いされてしまう。この辺でいうと、大船渡線と気仙沼線がBRT(バス高速輸送システム)になったでしょう。あれは始まって数年経ったが、始まる前にいろいろ調査した。バスなんて嫌だ、鉄道がいいという声が圧倒的に多かったし、様々な説明をしたがそれでも中々分かってもらえなかった。
ところが、出来上がった途端に、鉄道よりもずっといいという声があがったんです。同じ人でも意見は変わります。目の前にないとわからない。よく説明しないとわからない。同時に、コンセプトというのは、名前だからつけてもらいたい。
同種のことをオーストリアでもやっているし、他でもやっている。吉澤さんは、決してオーストリアから学んでやっているわけでなく、やってみたら同じになったという話ですよね。
だから、そういう意味で独自の名前を是非つけてほしいと思います。
参考までに一つ言います。皆さんよく知っている名前だと思うが、宮本恒一さんという社会学者、民俗学者、旅の研究者の本で「忘れられた日本人」というのがあります。その中に「善根宿」というコンセプトがある。旅人で、旅に疲れてしまった人を泊めてあげるという普通の家のこと。そういうことをやることによって善根を積んでいき、世の中に貢献したいということ。善根宿というものは、昔ぽつぽつとあって、それなりにゆとりのあるお百姓さんなどがやっていました。
ここでやっているカーシェアリングは、いわば善根ですよね。契約によって成り立っているのではなく、善意によって成り立っているものを、国の中で大手を振ってやっていくためには、法的根拠をちゃんと持ってやっていった方がいいと僕は思います。
最後に一言、ここに来てみて驚いたことが2つあります。
1つは、今回のコンセプトというものが、ユーザ側から出ているということです。目の前にいるユーザ、例えば増田さんのような方が相談しながらやっているわけですよね。世の中にたくさんありそうだが、そうそうない。大体は、事業者側から提案することが多く、ユーザ側からのケースは極めて珍しいということを覚えていてほしいと思います。
2つ目は、若い人たちが行っているということ。吉澤さんと初めて会ったとき、自分と同じくらいの年齢の人間が来ると思ったら、全然若かった。吉澤さん含め若い人たちが運営しているのがいいと思います。いま、日本にとって貴重なものは若い人。そういう人たちがいろんなことを考えて、外国の人まねではないことをする。ニーズにのっとって適切なものをやって、軽量で生み出しながらやっていくことは素晴らしいことです。若い人ということと、ニーズスタートということを是非あちこちで広めてもらいたいと思います。
(家田先生ご都合により途中退席)
柴山
フロアにお座りの方で、カーシェアリングの分野についての可能性やアイディアをお持ちの方はいませんか?
A
石巻市立病院開成仮診療所所長、市の健康部の包括ケアセンターの所長をしている長と申します。
いま石巻市は、地域包括ケアに注力しております。
地域包括ケアとは、超高齢社会に対して社会保障が今のままでは持続しないため、支えあいの地域づくりと共に医療、介護をトータルに考えるということで、これは国家的な課題です。
カーシェアリングの取り組みに関しては、様々な面で非常に期待することが多いのですが、十分支援できていないことに申し訳ないと思っています。
いくつかの点でお話しさせていただきますと、まず1つに、社会保障が超高齢社会、人口減少社会に、医療や介護だけでは支えきれないことが常識化してきています。例えば、医療では在宅医療が最重要課題。これもある意味、公共交通機関がない、足がないことが影響しています。
虚弱な方が増えた社会で、足を確保するかが簡単ではなくなってきているため、訪問診療が増えています。実際、被災地の石巻では訪問診療の件数が震災前と比べ、約2.5倍に増えています。対象になる方が減っている、寝たきりの方は震災で減っているはずなのに、利用者が増えているんです。
これは、不便なところに住む住民が増えたためで、介護保険も同じ現象が起きています。
現在、震災前と高齢者数は同じですが、介護保険の量は1.3倍。金額にすると30億円も余計に使っていることになります。
社会保障の仕組み、国の流れと逆行して、被災地ではコミュニティが壊れていること、あるいは交通機関が不便になっていること等で、医療や介護に乗っかってくる形で物事を解決しているのが現状です。
私自身、僻地で医療をやっています。先ほど公共バスの利用の話がありましたが、公共交通機関を守るためにどれだけ苦労するかということを勉強していたことがあります。
以前、国交省・農水省・厚労省と町村会でシンポジウムを行ったのですが、その中で、まちづくり、公共交通機関、医療がないと、人は住めないことが総務省調査でも出ています。医療と足がないと、人は暮らせないことがはっきりしているんです。
僻地を抱える自治体の職員は、森林の荒廃と空き家の増加と、ごみの問題が自覚されています。ニーズと現実がマッチしていないんです。
実際、被災地では、コミュニティが壊れて閉じこもりが深刻化していることが最大課題で健康状態が悪化している。例えば、新蛇田の復興公営住宅でアンケートをとったところ、3年あまりの仮設住宅暮らしをしていた方は、2割が仮設にいる間に知り合いが一人もできていません。5割が、1〜4人しかできなかったんです。トータルで7割が仮設住宅で暮らしていて知り合いができいません。
その結果、社会保障費が急騰するという形でしわ寄せが出ていますが、なかなか気づかれていません。
カーシェアリングは、コミュニティ形成支援という面で役立っていると思います。支えあいの社会、出会いの場としての機能、あるいは外出を支援していますよね。
閉じこもっていることが、いかに健康に悪いか。たばこは健康被害が最悪で、5歳寿命を短くするといわれてきましたが、最近では友人の数が多いか少ないかが、より健康に大きな影響が出るというレポートが出ています。
知り合いがいなくなった、あるいは知り合いができないということが、いかにひどい健康問題か。

医療や介護にお金をかけても、今の石巻の現状ではコミュニティが壊れたことを回復しない限りは、成り立ちません。この現状に対して、カーシェアリングは虚弱な方々に対して優しいサービスであり、虚弱な方々を支えながら再構成していると思います。
福祉的な目線をもった社会づくりの中で、非常に重要な役割を果たしている。制度的に介護保険料をいれることはまだできませんが、本来は公共とされているものを担っていただいている。大変期待しています。実際、吉澤さんと私は自治連を支援する形で住民参加が基本だと考えています。行政の中にいて、なかなか応援できていませんが、今後とも少しでも連携させていただければと思っています。
柴山
どうもありがとうございます。
工藤
仙台から来ました、工藤電機の工藤と申します。だいぶ前から吉澤さんが、若さと使命感をもってやってらっしゃる姿をみて、一番心配しているのは持続性、経済的面です。
先ほど、鈴木先生からお話がありましたが、カーシェアリングで稼いだ部分をEVにつぎ込んでいる。たぶん、いろいろ行政からの支援などあると思うが、民間でやっていく場合には、金の切れ目が縁の切れ目になってしまいます。
吉澤さんがやっているカーシェアリングの経済的な循環が、ある程度の自己負担でも回っていくような社会、あるいは国もこの地域もそういう風にしないといけないと思います。
日本のボランティアという概念は、外国と違います。弱者に褒賞することが日本のボランティア精神ととらえられていますよね。
ボランティアする側も生きていかなければなりません。そこのバランスも考えると、非常に心配しています。何か役に立つことを仙台の方といろいろに連携しながらやりたいと考えています。
もうひとつ、電気自動車の使い方については、日本国内では電気自動車というと、何キロ走れるのでしょう。50キロ走れればコミュニティの移動体としては十分です。
だから、先ほど家田先生が話されていたが、いわゆるメーカーニーズでなくて、ユーザニーズに始まっていることに基点をおけば、日本の産業構造も少しは変わっていくと思います。経済的に回るような仕組みを、フロアの皆さんからも頂けると安心して帰れるので、よろしくお願いします。
柴山
持続性、経済的な面という話がでましたが、Christianのところでは、持続性を保つために協同組合を設立しています。協同組合の収入はどうしているのでしょう。あるいは、各グループでお金のやり取りはありますか?
Christian
経済性は、当然私たちにとっても悩みの種です。私たちは労働組合として協同組合としても機能していかなければいけません。メンバーからの料金で資金繰りしていかなければいけませんが、幸い、たくさんのメンバーがいるため、料金でまかなっていけています。
嬉しいことに、企業からもサポートを得ています。そうした意味で、私たちの協同組合には十分な責任性があるといわれており、政治家からも様々な形で補助金をもらっています。それが財源になっているわけです。
オーストリアと石巻、日本ではかなり違いがありますね。オーストリアでは、高学歴の人々が、まずカーシェアリングを使う。カーシェアリングのイメージは新しいものだから、トライしようとしています。それに対して石巻においては、ニーズがあってカーシェアリングをやる必要があった。車がない事情があった。
私たちの方では、高学歴から始まりましたが、車を持てない人たちもメンバーになってきています。それぞれの社会システムでは、経済性を確保することは難しいのかもしれません。しかし、カーシェアリングということにおいては、非常に格安なシステムとして共助、お互いに助け合うことができる。そういった意味で私は、カーシェアリングというのはいいシステムだと思います。